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個人的に興味もあるせいか、昨今、「地方移住」「地方起業」という言葉をよく聞くようになりました。
故郷に帰って家業の会社を継ぐ、という人もいるかもしれません。
そこで、「地方で会社を経営すること」に想いを馳せてみたのですが…
どうすれば上手くいくのか?
といったアイディアは残念ながら浮かんで来ませんでした。
では逆に、「こういうのはダメだろう」という例を挙げてみたところ…
なるほど、どうやら「地方で会社経営をする時に、地方であることを言い訳にするのはよろしくない」という回答に行き着きました。
例えば、これから地方で会社経営をする人はどうすればよいのだろう?
と疑問に思い、いろいろ検索した結果、見つけたのが下の記事でした。
↓
■地方企業にこそ、「経営」の本質がある -株式会社日本人材機構 代表取締役社長 小城武彦×株式会社経営共創基盤 代表取締役CEO 冨山和彦 | SELFTURN ONLINE(セルフターンオンライン)
https://media.selfturn.jp/career/451
一部分だけ引用させていただきます。
東京でそれなりに鍛えられた基礎能力の高い人たちが行って本気で仕事にコミットすると、非常に高い確率でうまくいくんです。東京で2万人の会社の真ん中からちょっと下くらいにいた人が、地方へ行ったらいきなり副社長とか執行役員以上になって、相当な責任を持って仕事ができます。
これは…都心の企業できちんと実力をつけた人が地方へ行くと、さらなるポジションで仕事をし、それが自身の成長になる…ということなのだろうな、と感じました。
地方で勝負をするために、成功するためには、なにをしていけばいいのでしょうか?
きっと悩むこと、不安になること、わからないこと、心配…たくさんあることでしょう。
しかしながら、「こうすれば大丈夫です!」という正解がわかりません。
正解がわからないのであれば…
では逆に、ダメな例を挙げてみてはどうか? と思いついて、いくつか書いてみました。
親から引き継いだ家業を、「先祖代々が守ってきたことだから…」と、なんの変化も与えず、取引先も注文数も業績も下降し続けているのに、なにもせず現状維持に執着してしまう経営者。
これはダメではないでしょうか?
↓
もし、このまま事業を続けていても尻すぼみで、やがてはどこかで終わりが来てしまう…
それに気がついているのなら、なにか手を打たなければなりません。
新規事業を考えて、どんどん試すことは楽しいかもしれません。
しかし、もともとあった本業を疎かにしてはいけません。
本業もきちんと継続して、しかも圧迫することなく、新しい分野に挑戦していかなければならないのです。
「会社を立て直すために!」と奮闘するはずが、元も子もなくなってしまいます。
また、新しいことに挑戦するためには、古くから頑張ってくれている従業員の理解と協力を得ることも不可欠でしょう。
社長として、会社の業績を回復させるためには、人材の活用、テコ入れは必須かもしれません。
時には、社長権限で多少強引な手段を取ることも必要でしょう。
しかし。
あまりに強力な大ナタを振るうと、思わぬしっぺ返しがあるかもしれません。
大げさな表現かもしれませんが…社員からのボイコットなどです。
いくら会社の業績回復のためとは言え…これまで頑張ってきた自分たちをないがしろにするような人員配置をされれば、社員だって抗議したくなる気持ちも出てくるでしょう。
外部からコンサルタントを入れる、重役を降格させて若手を起用するなど…
たとえ会社のためとは言え、社員たちとは整合性を取って、理解を得ながら進めていく姿が理想と言えます。
会社が地方にあれば、都心に比べてどうしても立地の差がでてくるでしょう。
物流も全然異なるでしょうし、物理的なお客様との距離、取引先との距離はどうしても出てきてしまいそうです。
さらに、景気が悪ければ会社の売上は減るでしょう。
仕入れ価格の高騰が起きれば、当然、売価も上げざる得なくなり、客離れが起こるかもしれません。
ライバル企業が現れたら、消費者は比較検討した結果、ライバル消費品を買ってしまうかも。
これらはすべて正しいとは思いますが…
しかしながら、それを理由にしていはいけない気がします。
アメリカ経済が不況になったら…、地震が起きたら…、たら…、れば…
きりがありません。
ここまで書いてきて、初めて気がついたことがあります。
つまりは「地方の会社経営でダメなこと」というのは、「普通の会社経営」の場合と何ら変わらないのではないか?
ということです。
さらにもう一つ、
なども問題になるのだな、と理解できました。
地方だからと負けないように…
と息巻いても、それが独断によって突っ走っている状態では、「会社経営」はなかなか難しそうです。
そして、外的環境のせいにしないこと。
つまりは「地方であること」を理由にしない、ということです。
地方に、田舎に、様々な障害があることは事実でしょう。
しかし、それを言っても変わりません。
お天気のように変えようがない事実なのですから。